中3だったころの自分
1992年で私は中3生となりました。
1992年の出来事で印象に残っているのは岩崎恭子さんの金メダルですね。
学校の友だちとこの話題になると岩崎選手の「今まで生きてきた中で一番幸せです」の言葉に、まだそんなに生きていないだろ?と突っ込んでいたような気がします。
また、松井秀喜選手の5打席連続敬遠も話題となりました。
あとテレビドラマでは冬彦さんの影響力がすごくて、マザコンに対する学校での取り扱いがひどくなり、母親と一緒にいること=冬彦さんというイメージが出るほどでした。
この頃はとくに母親と買い物に行くことすら周りの目が怖くなったくらいです。
また、CDの数がどんどん増えていくようになり、ミュージックステーションやカウントダウンTVなど音楽番組で自分が好きなミュージシャンが出るとうれしくなるようにもなりました。
さて勉強面の話になりますが、中3の私は1学期の頃でもまだ高校受験というものに対してほとんどというくらいに理解をしていませんでした。
もしかしたらそのような話が何度か出ていたのかもしれませんが、私にとっては本当に興味がないものであり、小学校から中学校に変わるようなものだろうとかなりの楽観的な考えで過ごしていたのではないでしょうか。
それでも学校の成績は中3の1学期には中1の頃と同じくらいに回復していました。
また、スラムダンクの影響もあって基礎体力の大切さと人の何倍も練習すればできるようになるということがわかるようになり、懸垂が一回もできなかった自分が人よりも3倍4倍練習したことで連続20回できるようになったりしていくことで、体育の授業がそれまで以上に楽しくなりました。
スポーツが苦手で悩んでいる方は一度スラムダンクを読んでみたほうがいいですよ。
私もスポーツに対する取り組み方が変わりましたし、自信にもつながりました。
他の人よりもたくさん練習したらみんなよりもできるようになれると本当に嬉しいですからね。
筋トレなんてやらされていたら本当につまらなくてたまりませんが、自分の筋力がつくことが実感していくとしんどくても楽しくなりますし、自分からやりたいと思わなければいけませんね。
それは勉強もスポーツも同じことが言えるのではないかな思っています。
中3の成績は国語3、数学5、理科5、社会5、英語4、美術4、体育4、技術家庭4、音楽4でした。
音楽は得意で歌や楽器演奏も間違えずにできていましたが、テストで98点という点数でも4でした。
私が通っていた中学は京都市立の公立中学校でしたが、当時その中でも模範校だったようで、修学旅行も初めて東北地方の福島に行きました。
当時の修学旅行先は広島だったのでより遠く行くという試みがあったのかもしれませんが、そんな状態だったのでテストで98点をとっても100点を取る人がいたために5になるにはかなりハードルが高い状態だったことが分かります。
そんな中での数学理科社会の5は自分でもうれしい限りですけどね。
ちなみに自分がいたころから10年後になると修学旅行自体行くことが出来ない状態に陥っていたそうです。
あまりにも生徒がやんちゃすぎて修学旅行に行くことなんてもってのほかということだったようで、それはそれで悲しい限りでした。
自分が中学校を通っていたころは大変恵まれた環境だったんだなと思います。
そして、その成績で地元の公立高校を目指すわけですが、狙っていたのはⅡ類とよばれる特進理系コースでした。
私は塾通いというものをここで初めて行いました。
ほとんど受験直前にだけ入ったのですが、数学の面白い教え方をする先生だったことを覚えています。
英語も分かりやすく教えてくれたので、中2の文法が分からない状態はあっても中3の文法は塾のおかげでマスターできました。
それでも第一志望の公立高校は不合格でした。
Ⅰ類の普通コースに行くこともできたのですが、私はより高度な勉強がしたかったので事前に併願で合格をしていた私立高校を選びました。
両親には負担をかけることになってしまいましたが、学力向上だけを考えれば本当に良かった選択だったと今でも思っています。
こうして地元の友人たちとは違った環境に変わって高校生活へと入っていくわけですが、それ以上にたくさん勉強ができると聞いていた私立高校にワクワクしていました。
それまで本当に勉強が大好きでしたし、たくさんのことを学ぶこと、知ることが本当に好きでした。
しかし、高校に入学してからすぐに勉強に対する意識がゴロっと変わってしまうのですが、その話はまた次回に。