高2だったころの自分
1994年で私は高2生となりました。
1994年の出来事で印象に残っているのは高1の時と同じくあまり覚えていないのですが、平安京遷都1200年を祝っていたことは覚えています。
この頃の自分と言えば中2と同じく中だるみに突入していました。
成績も下がって50名近くいるクラスの38番目あたりになっていたと思います。
もう少し成績が下がれば選抜クラスにいることが出来ない状態でしたので、3学期はそれを避けるために頑張っていました。
自分自身の大学受験に向けて頑張るという意欲ではなくて、あくまで仲の良い仲間と言える友だちがいるクラスから外れることが嫌だったんですね。
小中学生の頃には考えたり思いもしなかったことです。
それだけ高2の頃のクラスは自分にとってとても楽しくて好きなクラスでした。
当時は勉強以上に友だちとのサッカーや野球が好きになるようになりました。
スポーツ好きではなかった自分にとっては大きな変化です。
そして、友だちから教えてもらった「沈黙の艦隊」というマンガにハマってしまい、暇があればずっと読んでいました。
このマンガの影響を受けて私は国際社会や政治に関心を寄せていくことになります。
自分の人生、勉強が好きと言いたいところですがこの高2の頃が一番勉強をしなかった時期です。
大学受験にとっては大変致命的です。
中学の頃でも感じていたにもかかわらず、高校生になってもやはり「2」のつく時期に中だるみをしてしまいました。
やはりここでも受験対策をするときには私は特にこの時期に関しては自分の経験をもとに口酸っぱくなってしまいます。
私のように失敗してほしくないですからね。
それでも、友だちと楽しめた日々は私にとっての財産そのものです。
そうした楽しい日々を過ごしていましたが、直接自分に被害がなかったものの、自分の価値観を一気に潰す出来事が起こりました。
それは、阪神淡路大震災です。
1995年1月17日の午前5:46に私は強い揺れとともに目が覚めました。
私の人生の中で一番大きな揺れであり、これまで避難訓練や災害に関する話を聞いていてもあまりピンと来ていませんでしたが、さすがの大地震に恐怖感でいっぱいでした。
地震がおさまってテレビをつけると京都の震度が5強となっており、そのときはまだ京都が最大の震度数となっていました。
大地震が起こってもいつも通りの朝6:30に家を出て自転車で駅に向かっていたのですが、いつもの朝と違って自転車で通る踏切が一切降りなかったことを覚えています。
電車も全然通らないことに違和感を感じつつも駅に到着して学校直通のバス停に向かうのですが、そこで聞いたのが臨時休校だということでした。
さすがの大地震に学校も休校かと思って帰宅をするのですが、帰ってすぐにつけたテレビの映像に衝撃を受けました。
神戸の街並みが煙と火事に包まれて、高速道路も倒れてしまっている映像を見て、改めて地震の怖さを知りました。
そして、時間が経つにつれて死者が増えていくことにも恐怖を感じながら、私自身に芽生える感情がありました。
それまでは真面目に一生懸命に過ごしていれば昔話のように苦労をしてもきっと幸せな日々がやってくるのだと信じていました。
しかし、神戸でもきっと自分以上に真面目に一生懸命に過ごしてきた人がいるのに、神は無慈悲にも簡単にその人たちの生命を奪うのだということをテレビを通して感じたのです。
この時は真面目であることへの意味をずっと考えていました。
そしてこの大震災を境に、私はこのような自然災害などにいつ起こるかわからない状態で自分も無慈悲に生命を奪われてしまうかもしれないから、いつ死んでも後悔しないように「今」という瞬間をもっともっと大事にしようと思うようになりました。
後々の自分の人生よりも今という瞬間が何よりも大切という価値観は今も変わっていません。
もちろん将来のことも考えて行動をするようにしていますが、今という瞬間は二度と取り戻せませんし、「あの時こうしておけばよかった」と極力思わないようにすることが大事と思うようになったのです。
特に何もしなかったことへの後悔が一番の後悔とも考えるようになりました。
さらに1995年3月20日には地下鉄サリン事件が起こりました。
オウム真理教という名前をその事件で知ることになり、それ以降注目しながら高3へと進学していきました。
高3の話はまた次回に。